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庄内の風土
2010年4月6日 芳賀

 行政上の地域の境界よりも 風土圏のような地域の呼びかたの方が、そこに住む人にとっては 馴染みやすいのではないでしょうか。

 山形県の、日本海に面した西側の地域を、ここでは“庄内” 地方と呼んでいます。 出羽丘陵を挟んだ内陸に対して、 庄内であります。 内陸 対 庄内、( たぶん この時の内陸には 無意識乍も 弱い悪意が込められているように思います。) こんな風な言い回しと言うか 対抗意識は、地勢的なこともありましょうが、多分に藩政時代から明治維新にかけての、その歴史に根ざしているものと思います。庄内地方は そのほとんどが この時代を通じて徳川四天王の筆頭酒井家の領地でありましたし、対して 内陸は、米澤藩 新庄藩を除いて、譜代外様入り乱れての領国支配となっておりました。 加えて、幕末明治の折には、庄内は旧幕府軍として最後まで戦い、内陸の官軍側と激しく対峙した経緯(いきさつ)があります。そのような意識が 言わずともがな 今も残っていて、そんなこともあって たぶん、内陸に対する 庄内なのでしょう。

 さて、此処庄内は 大概南北40km東西20kmの平野で、海岸から20km遡(さかのぼ)っても10m程度の標高と、正に平坦、かつ広大な平野であります。その平野の外側を縁取って、北方秋田県に続く秀麗な成層火山・鳥海山(2236m)がそびえ、南には出羽三山で名高い信仰の山・月山(1984m)が、臥牛山(がぎゅうざん)と称されるように楯状火山のゆったりした姿でそこにあります。遠く仰いで、陰の月山、陽の鳥海と称される由縁であります。また平野の東縁には300m〜500mの定高性を示す新第三紀層の出羽丘陵が、遠く秋田県の大平山・白神山地にまで続いています。

 このように我が庄内は、その北と南に対照的な独立峰をいただき、東西両側を丘陵に囲まれた 箱庭的、盆地的な平野となっています。それでも 周辺の山々が程よい高さのため地勢は伸びやかであり、中に点在する各集落は、殊に 田に水を張る田植えの頃には さながら浅海に浮かぶ多島海の如き光景となります。

 藤沢周平の小説 たそがれ清兵衛などで、目下 この庄内は その海坂藩のモデルとして 全国ファンの注目を浴びておりますが、この忙しい時代にあって、皆さんの郷愁をかき立てる何かの魅力が、此処庄内には 今も現存しているのでしょう。

 そして、世界遺産でもないけれど、この素朴で 歴史的 文化的な風土そのものが、此処庄内の最も大切な宝であり、世界に向けて通用する普遍的な価値なのだと、思っています。

 今日の日本に、切り取られ、取り残されたようなユートピア、桃源郷が残っていても、私はいいと思う。

ふと見上げると 何時もそこに存在(いる)ような そんな月山
品の良いお客さんが ふと玄関口に立っているような鳥海山
そして、 爽秋に 霧立ち昇る 弥陀(みた)の山なみ、 出羽丘陵

その中で人々は暮らし、そんな大地の下を、地下深く 膨大な地下水が ゆたかに そして静かに 流れているのです。

壮一

 
       



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